十思公園はオフィス街と小物問屋の町、日本馬小伝馬町の中にある静かな公園です。
しかしながら、ただの街の片隅にある公園ではありません。
それは幕末の兵学者であり思想家、吉田松陰終焉の地でもあるからです。
まずは園内の風景
広場の周りに遊具があり、左手には鐘を収めた建物があります。この鐘については後ほど詳細をご説明いたします。
園内は静かで、取材した平日昼間には休憩しているサラリーマンの方がいらっしゃいました。木陰が涼しそうですね。
ちなみに、「十思」と言う名前は隣接していた廃校になった小学校の名前だそうです。
園内の遊具
まずは、雲梯です。ただし子供がぶらさがるには少々高すぎるようで、
「きけん こどもは使わないで!」
という注意書きもあります。
大人が使うことを想定しているのでしょうか?
少なくとも取材時には、近くに人はいませんでした。
フェンス付きの砂場。このタイプのフェンス付き砂場のなかでは比較的大きい方ではないでしょうか。
子供がお友達と遊ぶのにちょうどいいかもしれませんね。
この砂場のフェンスですが、犬や猫の糞対策でつけられているようです。衛生面が気になる方には特にうれしいですね。
一人用のブランコ。横のパイプが交差して片方が空いている形になっているので、お子さんの横に立って、遊ばせてあげるのにちょうどいい感じです。これならまだ小さいお子さんでも安心ですね。
すべり台の複合遊具。楽しそうな形をしていますが、
「3歳から6歳の幼児には大人が必ず付き添ってください」
と注意書きがあります。
怪我をしないように気をつけましょう。
伝馬町牢屋敷は吉田松陰の終焉の地
のどかな公園遊具とはうって変り、この公園の史跡としての側面についてご説明します。
江戸時代、かつてこの地は、伝馬町の牢屋敷がありました。
1677年に牢屋敷が常磐橋門外からこの地に移されて、1875年に市ヶ谷監獄ができるまで使用されました。
発掘調査も行われたようで、園内にはそのことを説明する立て看板もあります。
そして幕末、吉田松陰が安政の大獄で牢送りとなり伝馬町牢屋敷に入れられ、老中暗殺を計画したとして処刑されてしまいました。
その最後の場所の跡に、十思公園はあります。
「吉田松陰終焉の地」と石碑にも刻まれています。なかなか感慨深いものがありますね。
身はたとひ 武さしの野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし大和魂
十月念五日 二十一回猛士
これは吉田松陰が、ここ牢屋敷内で門下生達に向けて書いた
「留魂録」にある有名な句で、松蔭の辞世の歌として知られています。
松蔭が亡くなった後、長州・薩摩による倒幕、そして天皇を中心とした明治政府の樹立と近代化という歴史的偉業がなされましたが、これも吉田松陰がいたからこそ実現できたのかもしれません。
松蔭はわずか30歳という若さで亡くなっていまいましたが、その志はしっかりと受け継がれたのでしょう。
石町時の鐘
かつて江戸時代に、時を知らせた鐘が石町(日本橋本石町)にありました。
それが幕末の時鐘廃止時に石町松沢家の秘蔵となっていたものを、十思後援会が寄進を受けて、昭和5年9月この地に鐘々楼が建設されました。
牢屋敷に収監されている受刑者の処刑もこの鐘の音を合図に執行されたようで、処刑者の残された時間を思ってか、鐘番がわざと鐘を撞くのを遅らせたりしたこともあったそうです。
松蔭は最後のこの鐘の音をどのような気持ちで聞いたのでしょうか。
トイレと水飲み場
園内には公衆トイレがあります。
男女別、水洗で多目的トイレもあります。
また遊具の近くには水飲み場があります。
喉が乾いたらここで水を飲んでも良いし、砂場で汚れた手足を洗うにも便利ですね。
アクセス
東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅、北千住方面の地上階行きエレベーターに乗れば、公園のすぐ前に出ます。
以上、小伝馬町の十思公園の紹介でした。
静かな公園で休憩したい、あるいはお子さんを遊ばせたいという方だけでなく、幕末歴史好き、あるいは吉田松蔭ファンなら絶対にはずせない史跡でもあります。
ぜひ訪れてみてください。
十思公園のスポット情報
所在地 |
東京都中央区日本橋小伝馬町5-2 |
---|---|
アクセス |
東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅 北千住方面の地上階行きエレベーターから出てすぐ |
遊具・設備 |
ブランコ、スプリング遊具、うんてい、すべり台、砂場 |
面積 |
2,084平方メートル |
公衆トイレ |
あり(男女別、多目的トイレあり) |
お問い合わせ |
中央区役所 水とみどりの課公園河川係 |